わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

「大きいどんぐり ちいちゃいどんぐり みいんな利口などんぐりちゃん」

2015年 9月14日

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朝晩かなり涼しくなり、急に秋めいて来ました。空に広がる雲も筋状の秋の雲です。散歩道の途中にどんぐりが沢山落ちていました。私は小学校に上る前の子供の頃、鳥取市の久松山というかつて鳥取城の天守閣があった山の下の方に住んでいて、秋になると近くの天徳寺というお寺に母と妹と一緒によく椎の実を拾いに行きました。あまり甘いものが十分にない時代だったので、お寺の境内にある大きな椎ノ木の下に落ちる実を集めて、それを家に持って帰ってフライパンで炒って食べるのが楽しみでした。熱々(あつあつ)の椎の実を割って中の実を食べると、何とも言えない香ばしい味がしたことを憶えています。


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さて「どんぐり」というと、有名な寺田寅彦の随筆を思い出します。寺田寅彦は明治から昭和初期まで生きた物理学者ですが、その随筆は科学者の視点と随筆家・俳人の感性が入り混じった見事な文章です。今でも多くの人に読まれていて、私もこの人の文章に憧れます(インターネットの「青空文庫」で、無料で読めます)。寺田寅彦随筆集第一巻(小宮豊隆編、岩波文庫)を見ると、最初に「どんぐり」という文章が出てきます。よく大学入試問題などに使われるので有名な文章ですが、心にしみる文章です。



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 「もう何年前になるか思い出せぬが日は覚えている。暮れもおし詰まった二十六日の晩、妻は下女を連れて下屋摩利支天(したやまりしてん)の縁日に出かけた。十時すぎに帰って来て、袂(たもと)からおみやげの金鍔(きんつば)と焼き栗を出して余のノートを読んでいる机のすみへそっとのせて、便所へはいったがやがて出て来て青い顔をして机のそばへすわると同時に急に咳をして血を吐いた。驚いたのは当人ばかりではない、その時余の顔に全く血のけがなくなったのを見て、いっそう気を落としたとこれはあとで話した。

(中略)

 世間はめでたいお正月になって、暖かい天気が続く。病人も少しずつよくなる。風のない日は縁側の日向(ひなた)へ出て、紙の折り鶴をいくつとなくこしらえてみたり、秘蔵の人形の着物を縫うてやったり、曇った寒い日には床の中で『黒髪』をひくくらいになった。そして時々心細い愚痴っぽい事を言っては予と美代〈雇っている下女〉を困らせる。妻はそのころもう身重になっていたので、この五月には初産(ういざん)という女の大難をひかえている。おまけに十九の大厄(たいやく)だと言う。

(中略)

 妻は医者の間に合いの気休めをすっかり信じて、全く一時的な気管の出血であったと思っていたらしい。そうでないと信じたくなかったのであろう。それでもどこにか不安な念が潜んでいると見えて、時々『ほんとうの肺病だって、なおらないときまった事はないのでしょうね』とこんな事をきいた事もある。またある時は『あなた、かくしているでしょう、きっとそうだ、あなたそうでしょう』とうるさく聞きながら、余の顔色を読もうとする、その祈るような気づかわしげな目づかいを見るのが苦しいから『ばかな、そんな事はないと言ったらない』と邪険(じゃけん)な返事で打ち消してやる。

(中略)

 月の十何日、風のない暖かい日、医者の許可を得たから植物園へ連れて行ってやると言うとたいへん喜んだ。(中略)出口のほうへと崖の下をあるく。なんの見るものもない。後ろで妻が『おや、どんぐりが』と、不意に大きな声をして、道わきの落ち葉の中へ入って行く。なるほど、落ち葉に交じって無数のどんぐりが、凍(い)てた崖下の土にころがっている。妻はそこへしゃがんで熱心に拾いはじめる。見るまに左の手のひらにいっぱいになる。余も一つ二つ拾って向こうの便所の屋根に投げると、カラカラところがって向こう側へ落ちる。妻は帯の間からハンケチを取り出して膝の上へ広げ、熱心に拾い集める。「もう大概にしないか、ばかだな」と言ってみたが、なかなかやめそうもないから便所へはいる。出て見るとまだ拾っている。「いったいそんなに拾って、どうしようと言うのだ」と聞くと、おもしろそうに笑いながら、「だって拾うのがおもしろいじゃありませんか」と言う。ハンケチにいっぱい拾って包んでだいじそうに縛っているから、もうよすかと思うと、今度は「あなたのハンケチも貸してちょうだい」と言う。とうとう余のハンケチにも何合(なんごう)かのどんぐりを満たして「もうよしてよ、帰りましょう」とどこまでもいい気な事をいう。

 どんぐりを拾って喜んだ妻も今はない。お墓の土には苔(こけ)の花がなんべんか咲いた。山にはどんぐりも落ちれば、鵯(ひよどり)の鳴く音に落ち葉が降る。ことしの二月、あけて六つになる忘れ形見のみつ坊をつれて、この植物園へ遊びに来て、昔ながらのどんぐりを拾わせた。こんな些細な事にまで、遺伝というようなものがあるものだか、みつ坊は非常におもしろがった。五つ六つ拾うごとに、息をはずませて余のそばに飛んできて、余の帽子の中へひろげたハンケチへ投げ込む。だんだん得物の増して行くのをのぞき込んで、頬を赤くしてうれしそうな溶けそうな顔をする。争われぬ母の面影がこの無邪気な顔のどこかのすみからチラリとのぞいて、うすれかかった昔の記憶を呼び返す。『おとうさん、大きなどんぐり、こいもこいもこいもこいもこいもみんな大きなどんぐり』と小さい泥だらけの指先で帽子の中に累々としたどんぐりの頭をひとつひとつ突っつく。『大きいどんぐり、ちいちゃいどんぐり、みいんな利口などんぐりちゃん』と出たらめの唱歌のようなものを歌って飛び飛びしながらまた拾い始める。余はその罪のない横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り鶴のじょうずな事も、なんにも遺伝してさしつかえはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。」


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今日はこの随筆を思い出しながら、夕方の散歩で拾ってきたどんぐりをスケッチしました。


ホワイトワトソン、SMサイズ、ウインザー&ニュートン固形水彩絵具、ペンテル青墨筆ペン。所要時間30分。