わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 「ひとり暮らし」(谷川俊太郎、新潮文庫)

2015年9月8日

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詩人谷川俊太郎さんの50歳代後半から70歳ぐらいまでの随筆をまとめたものです。父親(谷川徹三:哲学者、元法政大学学長)と母親の思い出話が文中のあちこちに現れて、著者はこの両親の影響を相当受けていることがよく分かります。どちらかと言うと「ファーザーコンプレックス・マザー・コンプレックス」のようなものさえ感じられるほどです。しかし、本人は若くして「二十億光年の孤独」などの詩集で高い評価を得、その後も詩人、作家として活躍しています。学者の父親とは違う生き方をして、それを貫いている人と言えるかもしれません。
 
この随筆集は新潮文庫の100冊に選ばれていたので、旅先の本屋さんで購入しました。
私が気に入ったのは「葬式考」、「昼寝」、「駐ロバ場」、「惚(ぼ)けた母からの手紙」、「とりとめなく」、「私の死生観」などの文章です。
 
例えば「葬式考」では、「葬式に出るのはいやではない。結婚式に行くのよりずっといい。近ごろはおもしろい弔辞が少なくなったが、それでも結婚式の祝辞に比べれば、弔辞のほうがまだしも退屈しないですむ。弔辞ではおめでたいことを言わずにすむからだろう。ほとんど出たことがないから分からないが、想像するに結婚式というものには、否応(いやおう)なしに未来がついてまわる。出席者は目の前の若いふたりの未来を思いめぐらさずにはいられえない」とユニークな記述があったりします。
 
しかし、その他の短い随筆は話の結論がよくわからないものがあって、私には少し取っ付きにくく感じられました。「とりとめもなく」の中には、「若いころは考えに結論があると思っていた。仮の結論にでも達することが出来れば、そこでひと安心していた。年とって分かったことのひとつは、考えには結論というようなものは無いにひとしいということである」と書かれています。この記述通り、この本の随筆の中にも結論がよく分からないものがあるように思いました。
 
私が「理系」人間のせいなのか(理系では、とにかく「客観的に誰にでも分かる文章を書く」ように厳しく指導されるのが普通です)、詩人の文章にはすんなり頭に入らないものがあるなあ、と感じながら本を読みました。
 
しかし、谷川さんは高齢ながら昨今のインターネットの流れについて行っているらしく、最近の詩の好きな若者がいわゆる詩壇から離れてインターネットを通して読者や聴衆と直接交流しようとする傾向をよく理解しています。そしてその上で、従来の「現代詩があまりにも自己中心的で、それ故に読者を失い続けてきたのも否定出来ない」と書いています。
 
多分これは絵の世界でも同じだと思います。今やインターネットの時代です。長い間、既成のグループや公募展に作品を発表することがひとつの目標になっていたのですが、その流れがインターネットの出現で変わろうとしています。ブログなどで自由に自分の絵を発表出来る今の状態は、本当にすばらしいと思います。そして自分の絵の世界だけにハマり込んでいるのでは滿足しない画家もたくさんいることが、インターネットを通してわかります。