わたしの水彩スケッチと読書の旅

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秋の日や 古代と同じ 風が吹き  (岡山県総社市 角力取山(すもうとりやま)古墳 水彩スケッチ)

201311

 

岡山県総社市の郊外、備中国分寺の周辺には、たくさんの古墳時代の墓があります。いわゆる前方後円墳前方後方墳などです。天皇家の古墳が宮内庁によって厳重に管理されているのに比べて、吉備の国の古墳は、非常に大きな規模のものから小さいものまで、完全に開放され、自由に立ち入ることができます。全国4番目の規模の造山(つくりやま)古墳(全長350メートル)・全国九番目の作山(つくりやま)古墳(全長280メートル) などが有名です。今日訪ねた角力取山 (すもうとりやま) 古墳は四角い形をした方墳で、方墳としては吉備の国一の規模だそうです。この古墳がなぜ角力取山(すもうとりやま)古墳と呼ばれるかというと、戦前までこの古墳の近くの神社の秋祭りの時に古墳の横で奉納相撲が行われていたため、と案内板に書いてありました。山の上に植えられた樹齢推定400年のクロマツの堂々とした姿が印象的です。

 
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今日は秋の気持ちのいい土曜日でした。ちょっと天気が下り坂で、空が薄い雲に覆われていましたが、暑からず寒からずの快適な一日でした。秋の農村風景を描きたいと思い、イーゼルを立てました。遠く北の方角の高い山の頂に、桃太郎伝説の鬼の住んだ城として知られている「鬼ノ城」(きのじょう)が見えます。私の描いた絵の丁度真ん中にある高い電柱のすぐ横、山の稜線が2つに分かれるあたりがそれです。


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この鬼ノ城のある山には、ふもとの砂川公園というところから車で険しい山道を通って頂上まで行けますが、途中は狭い道で、対向車が来ないか冷や冷やしながらの運転となります。運転に慣れない人は砂川公園の駐車場で車を降りて、有料マイクロバスで頂上へ行ったほうがいいですね。この山城は国の史跡に指定され、史跡の整備が進められています。岡山県が熱心に発掘調査をしています。再現された城門などは、実に見事で、一見の価値があります。ビジターセンターもあり、トイレもきれいです。ハイキングコースも整備されています。鬼ノ城は朝鮮式の山城で、場内の面積は約30ヘクタールもあるようです。7世紀ごろに作られたと思われますが、正確な築城時期は分かっていません。それにしても、こんな高い山の上に昔の人はよくもこれほどの建造物を作ったものだ、と感心させられます。築城には推定で延べ数十万人が動員されたそうです。こんな山の上で働かされたらたまりませんね。下から登っていくだけで一苦労ですし、大勢の人の食糧や水はどうしたんでしょうね、それにしても古代の土木工事の技術はすごいものがあります。前に中国の万里の長城に行ったときも、びっくりしましたが、この古代の山城の構造もたいしたものです。


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こんなに沢山の人を強制労働させて城を作ったとなると、城主は「鬼」と呼ばれても仕方がないかもしれませんが、実際のところは、この温羅(うら)とよばれる地方豪族は地元の民からは大変敬愛されていたようで、大和朝廷から討伐に派遣された吉備津彦の命(みこと)、つまり桃太郎は、ここの人達にとっては、敵:侵略者であったようです。この辺りには桃太郎と温羅の壮絶な戦いを伝える伝説と遺跡がたくさん残っています。そして、地元の人は皆、温羅びいきです。


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