わたしの水彩スケッチ日本紀行

水彩スケッチ、読書、そしてのんびり思索の旅

私の「三都物語」 — 鳥取・松江・米子

2019年11月14日

 

時代が昭和から平成に変わって間もない頃、テレビのコマーシャルで『私の三都物語 — 京都・大阪・神戸』が谷村新司の歌とともによく流れていました。JR西日本の旅行キャンペーンです。使われた映像もとてもいい雰囲気でした。しかし、私にとっての「三都物語」は、山陰の鳥取・松江・米子です。

 

島根県の県庁所在地松江。私は戦後間もなくここで生まれました。誕生後すぐに、会社員だった父親の転勤で鳥取県の県庁所在地鳥取市へ。私の子供時代の記憶は鳥取市から始まります。3歳になったばかりの4月に経験した鳥取大火。昼過ぎに鳥取駅近くで出火。ちょうどフェーン現象による乾いた南風が吹いていて、鳥取市のほぼ全域が火に包まれました。幼い私は、頭にタオルをまかれ、空から飛んでくる大きな火の粉の玉を払いながら、両親に手をひかれて必死の避難。水田の中をパシャパシャと水を跳ね飛ばしながら北の日本海の方向へ逃げました。距離にして数キロ。その夜は、ようやくたどり着いた鳥取砂丘の端にある見知らぬ商店に泊めてもらいました。しかし、翌朝私は不覚にも寝小便をしてしまいました。生まれて初めて経験した大火で興奮したのでしょう。晴天の朝、お店の奥さんが苦笑しながら、丸くおしっこの跡が残る敷布団を松の枝と枝の間に渡した竹竿に干している姿が、今でも私の目に焼き付いています。その日のうちに両親と歩いて帰宅してみると、住んでいた木造社宅の前の沢山の家々はすべて焼け落ちて、はるか遠くまで見渡せるほどでした。そして我が家の裏の久松山(きゅうしょうざん)も広い範囲で焼けて広大な松林が焼失していました。幸い私達家族は焼け出されずにすみ、そのまま古い社宅で生活を続けました。

 

当時は戦後間もない頃で、市内の舗装していない道路をアメリ進駐軍ジープやサイドカー付きのオートバイが砂埃を立てて走り、私達小さな子供はそれをポカンと見送っていました。幼稚園から小学校3年まで鳥取市で生活。小学校ではコッペパンとマーガリンと脱脂粉乳の給食でした。太平洋戦争が終わって、世の中は全体に貧しかったのですが、市民の間にはもう戦争はないという喜びと平和な気分が溢れていました。私は絵の好きなおとなしい子供でした。

 

それから再び父の転勤で小学校3年の途中で松江市へ。ここで小学校を卒業しました。松江城の近くの古い木造校舎の小学校でした。そろそろ白黒テレビが世の中に出始め、当時皇太子殿下と美智子妃殿下のご成婚のパレードを見るために、テレビを持っている級友の家に出かけたのを憶えています。プロレスの力道山の活躍を街頭テレビで見たのもその頃でした。大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)のミサイル打線(田宮・榎本・山内・葛城の各選手)の大活躍をテレビで見て、すぐにオリオンズのファンになりました。相次いで発刊された少年サンデーと少年マガジンの創刊号を買ったのもこの町でした。ちょうど戦後の復興が軌道に乗って日本が高度経済成長を始めた時期でした。かつて古い日本の文化を美しい日本語で紹介した小泉八雲ラフカディオ・ハーン)が愛した松江。この町は今も昔も変わらず、しっとりと落ち着いた雰囲気を残しています。

 

そして中学入学時にもう一度父の転勤で鳥取県米子市へ。米子市は昔からこの地域の商業都市で活気がありました。『ゲゲゲの鬼太郎』を書いた水木しげるの出身地である境港や国立公園大山(だいせん)もすぐ間近です。この米子で中学と高校を終えました。団塊の世代なので、中学は1学年50人12クラスのすし詰め状態。入学した中学は米子市郊外の海岸に近い場所にあり、生徒はかなり荒れていました。近隣の中学校との喧嘩も絶えませんでした。米子に移ってきて間もなく、地元の不良中学生2人にいきなりに囲まれて腹部を思い切り殴られ、痛みで体をかがめて帰宅。これは生まれて初めてのショッキングな経験でした。他の町から移ってきた新入生への挨拶だったのでしょう。在学中も時々下校時に道で不良に待ち構えられ、「兄ちゃん(あんちゃん)、飛んでみ」と言われて、その場で級友とともにカエルのようにぴょんぴょん飛んだのを思い出します。ポケットに小銭が入っていると飛んだ時に音がするので、それでたかられるのです(私は普段親からお金を持たされることはなく、被害はありませんでした)。中学時代には体力がつくにつれて次第に自己防衛本能が身につきました。この荒れた中学でも、幸い多くの先生方に可愛がられ、親しい友達も沢山できました。高校は、私が入学する2、3年前の春の選抜高校野球で甲子園で準優勝した地元の進学校でした。

 

18歳で大学進学のためふるさとを離れて以来、早くも50年以上が経ちました。大学進学、就職、退職、そして現在に至るまで、国内で3ヶ所、海外ではアメリカ2ヶ所、イギリス、オーストラリアに住みました。どこもそれぞれに個性的でいい場所です。しかし、ふるさとの3つの町は特に忘れられません。私の幼年期、少年期、青年期の濃密な思い出が詰まっています。時々ふるさとの町に行くことがあります。よく遊んだ路地や、不良に待ち構えられた田舎道を歩くと、思わず涙が出そうになるほどなつかしい。

 

3つの町ともに海が近いので、ほのかに海の匂いがします。鳥取砂丘で有名な日本海。松江は汽水湖の中海と宍道湖。そして米子は中海と日本海。3つの町はいずれも城下町で、ほぼ日本海沿いに並んでいるのですが、雰囲気がまるで違います。鳥取因幡の国、松江は出雲の国、米子は伯耆の国。3つの町とも都会と比べて開発が遅れ気味だったので、昔のお国柄を反映したその地域固有の雰囲気をとどめています。言葉も3つの町で全くといっていいぐらい違います。

 

私は人から「ふるさとはどちらですか?」と聞かれると、いつもちょっと迷ってしまいます。戸籍上は松江が出身地ですが、なつかしさは3つの町に同じようにあります。空と海と山がきれい。自然が豊か。魚がうまい。おいしい果物もある。温泉も近い。町が静か。そして人がやさしい。こんないい町が連なる山陰地方。今はふるさとから遠く離れて暮らしていますが、私の「三都物語」はいつも心の中にあります。

 

 

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今日のマルちゃんスケッチ

ウオーターフォード水彩紙 Natural SMサイズ

エンピツ

シュミンケ固形水彩絵の具

所要時間:2時間

 

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by リクルート住まいカンパニー