わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

レタス

2022年6月26日

 

 

 

「田の道やレタスをくれる人のあり」

 

昨日の朝、まわりに畑やたんぼが広がる農道を歩いていたら、時々出会う91歳のおばあさんからレタスをいただいた。レタスは畑に植わっているのをその場でもいで下さった。本当にみずみずしい。

 

ちょうどカマを使って畑の草取りの真っ最中で、「わたしら年中草との戦争じゃわ」と言っておられた。確かに農家の人たちは水田でも畑でも1年中草取りに奮闘している。私など、年に何回かの町内の1時間ほどの草抜きでもすぐに音を上げる方なので、この農家の作業にはとてもついていけない。

 

さて、レタスであるが、キク科・アキノノゲシ属の植物だ。レタス (lettuce) は英語名で、和名はちしゃ(萵苣)。この漢字は難しくて書けない。レタスは夏の季語だ。この農家の人の話では、レタスは放おっておくとすぐにとうが立ってしまうそうだ。自宅用に作っていても一度に沢山できたら食べきれないだろう。そんなわけで、我々朝の散歩者が呼び止められることになる。田舎に生活している者が感じる幸せの瞬間だ。今の時期、きゅうりがどこでもドッと出来るようで、これもあちこちから貰い物がある。

 

この辺りは白桃やマスカットの産地として有名だが、散歩していてもさすがに白桃やマスカットはいただいたことがない。農家が命をかけている商品作物だからだろう。しかし、粘り強く朝の散歩を続けよう。「もしかしたら・・・」があるかもしれない。

 

 

昼寝

2022年6月25日

 

ヒメジョオン

 

「風吹いていつまで続く昼寝かな」

 

今日の俳句は「昼寝」。「昼寝」は夏の季語らしい。今日は湿った南風が強く吹いている。昼食後、部屋のエアコンを入れて読書を始めたら、いつものとおりドーンと眠気が来た。スマホのタイマーを30分に設定して、30分だけ昼寝することにする。しかし、たいてい30分では足らなくて更に30分追加。今日はそれでも足らなかった。こうしてやり始めた読書は切れ切れになり、何とも印象のうすい読書になってしまう。

 

思い出してみると、自分が小・中学生の頃はあまり昼寝をしなかった。遊ぶのに夢中だったせいもある。高校になって、授業がストレスで疲れやすかったのか、帰宅後たいてい昼寝をして疲れをとってから夜の勉強をした。しかし、大学生になって以来、社会人の暮らしが65歳定年で終わるまで、毎日昼寝とは無縁の生活だった(昼寝が許される仕事ではなかった)。

 

昔40年ぐらい前、スペインを旅行した時に、彼の地では昼間にシエスタ(昼寝時間)が2時間ほど設定してあり、商店、レストラン、そしてオフィスも銀行も全て昼休みになるのを見てびっくりした。これだからスペインは駄目になったんだ、と当時「働き中毒」と揶揄された日本人の一人として、やや軽蔑した視線で眺めたのを思い出す。しかし、これは労働生産性を考えると理屈にあっていると今は思う。

 

日本でも今は個人病院は午後は12時から4時まで休みのところが多い。レストランでも午後2時から夕方まで休む。このような職場では多分皆さん、公に昼寝をされているのだと思う。いいことだ。学校でも最近は30分一斉に昼寝をする学校が出てきた。

 

30分程度の短い昼寝は頭の疲労をとり、脳を再活性化する。しかし、寝過ぎは良くないようだ。私の今日の昼寝は間違いなく寝過ぎ。それでも私の横で昼寝しているうちの雄猫は、私よりずっとよく寝ている。寝覚めた時の「ああ、寝すぎてしまった」という後悔の表情もない。全く幸せそのものの顔をしている。

 

 

合歓(ねむ)の花

2022年6月24日

 

 

散歩道のネムノキに花が咲いている。ちょうど小学校のプールの横の登り坂にそった所だ。子どもたちが朝早く集団登校でこの急坂を登ってくる。今年の夏は小学校のプール授業が久しぶりで再開されたらしい。新型コロナ禍でしばらくプールが使えなかったので、この再開は子どもたちにはうれしいだろう。プールの子どもたちの歓声が戻ってくる。

 

ネムノキはマメ科ネムノキ属。葉は夕方から閉じて垂れ下がるので眠る木という意味からネムノキと名付けられた。花は夕方に開く。

 

「ねむの花登校下校の子らを待つ」

 

 

バラ園スケッチ

2022年6月23日

 

 

今日はグループでバラ園のスケッチ。岡山市北区RSKバラ園に行った。今月2度目だ。参加者15名。梅雨の雨が心配だったが、今日は朝から日差しが強く、むしろ蒸し暑さが気がかりになった。熱中症への心配から日陰を探してスケッチした。

 

10時頃にスケッチを始め、1時間ほどたった頃から風が強くなった。イーゼルにのせたスケッチブックが吹き飛ぶほどの強さだ。おかげで日陰にいると涼しかった。強い風で花を散らすバラもあった。

 

 

広大なバラ園には沢山の種類のバラが植えられている。このバラの維持・管理は大変だと思う。岡山市民にとって貴重な公園なので、SDGsではないけれど、入場料を含めて将来にわたって持続可能な形で運営されることを願う。バラ園だけでなく、花(バラ)の博物館や花(バラ)の美術館など、子供たちが植物について学べる教育施設や一般市民が楽しめる魅力的な施設があれば更にいいと思う。

 

最後に一句。

 

「バラ散らす風強く吹きスケッチ会」

 

 

 

明け易い

2022年6月22日

 

昨日6月21日(火曜日)は夏至だった。どおりで夜明けが早い。ついこの前まで寒さに震えていたのに、最近は蒸し暑さがたまらない。岡山市では昨日から雨となり(今日は晴れたが)梅雨を実感する。天気予報では、しばらく雨のマークが続く。梅雨が終わったあとの今年の夏は猛暑だという。テレビが7月〜9月の節電をしきりに呼びかけている。

 

夏至前後の短い夜には「明け易し」「明易」と言って、これが俳句の夏の季語になるらしい。夜の明けるのが早いという意味だ。それで一句作ってみた。

 

「明け易し猫と一緒にトイレ立つ」

 

このところ我が家の猫は私のそばで寝ることが多い。夜中や明け方に私がトイレに行きたくなって起きると、猫もついでに起こすことになる。逆に猫が夜中にトイレに行くと、私の目がさめる。時々トイレに行く時間が一緒になったりする。私も猫も高齢なので、お互い様だ。お互いの事情をよく分かっている。

 

 

バナナ

2022年6月21日

 

 

 

毎週火曜日の朝10時過ぎから始まるNHKラジオ第一の「ラボ句会」。今日の兼題は「バナナ」だった。先週、初投句・初採用で私の句が紹介されたので、今回も勇んで投句したが、残念ながら不採用だった。やはり先週はビギナーズ・ラックだったのだろう。

 

それにしても「バナナ」。バナナが夏の季語とは知らなかった。今は日本では一年中売られていると思う。

 

俳句のいいところは、季語を巡っていろいろ考えるところ。バナナ、バナナと1週間考え込んだが、いい句ができない。俳句の入門書を読んだが、それぐらいでいい句がすぐにできるはずもない。なにしろ俳句は奥が深そうだ。

 

私が今回作った句は次の三つ。

 

「楽しみはリュックの中のバナナかな」

 

ハイキングでも登山でも小旅行でも、リュックにバナナをしのばせる。バナナはエネルギー源として疲労回復に効果てきめんだ。以前島根県隠岐の島に向かうフェリーで、バナナをおいしそうに食べる外国人カップルを目にしたことがある。彼らの昼食は果物だった。四国の遍路道でも、外国人がバナナを食べているのが印象的だった。

 

 

「漫画見てバナナの皮で滑りけり」

 

昔は漫画にバナナの皮で滑る場面がよくあった。悪者に追いかけられている主人公がバナナの皮を後ろに投げると、それに足を乗せた悪者がつるりと滑って転ぶ。おかしかった。自分でもバナナの皮に乗って滑ってみた。本当によく滑った。

 

 

「カステラやバナナに似せて喜ばせ」

 

私が子供の頃(昭和20年代〜30年代)にはバナナは高級品。バナナが手に入らないので、代わりにバナナカステラを時々親から買ってもらった。バナナの形をして中にあんが入ったカステラだ。私達子供はそれでも大喜びだった。バナナカステラは今でも売られている。

 

今やバナナは高級品ではなくなった。それほど食べたいとは思わない。バナナを栽培する海外の農家が多量の農薬を使用することも問題になった(飛行機で大量の農薬をまくそうだ)。今の季節なら、サクランボ、メロン、ビワ、ぶどうを食べたい。どれも今のバナナに比べるとずっと高級品だ。バナナは時代の変化の象徴だと思う。

 

父の日

2022年6月20日

 

6月の第3日曜日は父の日。つまり昨日がその日だった。アメリカから始まった父に感謝する日。今年は父の13回忌だ。しかし新型コロナで、ふるさとでの法事の中止を決めた。若い頃から庭作りに情熱を傾けていた父。その父が作った庭も家も昨年人手に渡った。仕方がないことだが、ちょっと寂しい気がする。

 

「父の日や遺影のほこり拭いけり」

 

「父の日に思い出すこと多くあり」

 

父を思い出しながら、庭のアジサイをスケッチした。今日も1時間スケッチを目指した。

 

 

今日のスケッチ

ホワイトワトソン水彩紙F2

鉛筆とシュミンケ固形水彩絵の具