わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

モミジバフウ(アメリカフウ)(マンサク科・フウ属)

2020年11月16日

 

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モミジバフウの落ち葉

 

紅葉の美しい落葉高木です。葉がモミジのような形をしています(葉が5裂〜7裂)。モミジよりずっと大型の葉です。比較的暖かい関東以南で、街路樹や公園樹として植えられています。秋にはトゲトゲのある丸い果実をつけ、これも地面に落ちているのでよく目にすると思います。北米・中南米原産で、日本には大正時代に渡来しました。

 

同じく街路樹として使われているプラタナス(和名スズカケノキ)もモミジバフウに似ていますが、樹皮が不規則にはがれ、白いまだら模様になります(モミジバフウでは樹皮はまだらにははがれません)。プラタナスは耐寒性があり、気温の低いヨーロッパや北米の街路樹によく使われています。葉は浅く裂け、球形の実にはモミジバフウのようなトゲトゲはありません。

 

私の散歩道にも公園があり、モミジバフウが植えられています。もう随分と背が高くなって存在感があります。遠くから見てすぐにそれと分かるほど紅葉が見事です。今日は、その落ち葉を拾って、家でスケッチしました。この落ち葉も一晩置くと水分が抜けて、元気のないカラカラに乾いた落ち葉になり、色も変わります。スケッチするなら、その日落ちたばかりの葉を拾ってすぐに描いた方がいいです。

 

今日のスケッチ

ウオーターフォード水彩紙 中目 F6

鉛筆、ホルベイン水彩絵の具

所要時間:1時間30分

ノートがあればすぐできる(その2)— 健康管理

2020年11月15日

 

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体重計と体温計(一筆描き)

 

今から4年前の2016年12月から、毎日自分の健康データをB5サイズのノート(コクヨCampusノート)に記録しています。やり方は簡単。見開きの2ページが1ヶ月分になります。ノートの罫線の上に入っている目盛りの3目盛りおきに定規で縦線を引いて表を作り、その一番上に記録する項目を記入します。記録しているのは次の項目です。

 

  • まず一番左に日と曜日
  • 続いて体重・脂肪・筋肉・骨・内脂肪・基礎代謝量・体水分など、体重・体組成計が出してくれるデータ(入浴後)
  • スマホで毎日測る歩数(就寝前)
  • 血圧計で計る最高血圧最低血圧・脈拍数(起床時)
  • 体温(起床時と就寝前の2回)
  • その日の体調(異常があった場合)
  • 飲んだ薬

 

体重など、毎日測る必要は無いのかもしれませんが、習慣になってしまいました。毎日変化するのは、歩いた歩数です。一応1日7,000歩を目標にしています。4年前には1日1万歩を記録する日が月に5,6日はあったのに、最近は新型コロナのせいか、1万歩はめったに達成できません。

 

高齢者になったので、早朝の血圧も気になります。それと、コロナ禍で体温の測定は必須項目になりました。毎朝・毎晩、体温計を使って測定し、数値を見て安堵しています。喉がすこし痛かったりすると、新型コロナ感染を疑って神経質になります。マスク、手洗い、うがいはきちんとやっているつもりです。

 

B5の50枚綴のノートを使うと、1冊でだいたい4年分のデータを記録できることになります。何かあった時には、このノート1冊をもって医師に相談することもできます。自分の体の状態を毎日ノートに記録してデータ化することで、自分の体調を知り、その変化に早く気付けると思います。なんでもデジタル化の世の中で、年寄りのこんなアナログやり方でも意味があることを示したいと思っています。

 

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ノートがあればすぐできる(その1)— 新聞切り抜き

2020年11月14日

 

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新聞切り抜きに必要な道具(一筆描き)

 

2016年から新聞切り抜きをしています。気になる新聞記事を、家族が読み終わった後、週末に1週間分まとめて切り抜いて、ノートに貼ります。その時のコツは

  • 記事の分類は一切しない。気になる記事があったら(最初読んだ時に、蛍光ペンなどで紙面の上部にマークしておく)、A4ノート(コクヨA4 40枚つづり)に順番にピット糊で貼っていく。
  • わざわざスクラップ・ブックは買わない。普通のノートでよい。
  • 特にあとで繰り返し見る記事には、自分で見やすいように(簡単な分類のために)付箋をつけておく。

 

なぜ新聞記事の切り抜きをするかというと、新聞には読み捨てるには惜しい記事がたくさんあり、読書より少ないエネルギーで大事な情報が得られるからです。実際、このようにして作ったノートを、暇な時に蛍光ペンでアンダーラインを引きながら読み返してみると、自分の関心事がハッキリわかります。時代の微妙な(急速なと言った方がいいかもしれません)変化も分かります。私の場合は、今世の中でどんな本が読まれているか(本の紹介記事)、どうしたら簡単で美味しいものが作れるか(料理記事)、そして朝日新聞の「天声人語」と「折々のことば」、地球環境問題と新型コロナの記事、読者の投書、それに有名人の訃報関連記事(歳のせいでしょうか)を切り抜くケースが多いです。

 

A4ノートは便利です。安いし、置き場所に困らない。要らなくなった時の廃棄が楽。インターネット検索もいいのですが、このアナログの「自分情報庫」を持っておくと、何かにつけて心強いです。若い人には、あえて新聞を購入してでも、この記事切り貼り(スックラップ)をお勧めします。これを継続すると、知識も、考える力もつきます。

 

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ツワブキ(キク科・ツワブキ属)

2020年11月13日

 

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ツワブキと言えば、島根県の津和野町を思い浮かべます。津和野という地名は、もともと「ツワブキが咲く野」から来たのだとか。この美しい花の名前をもらった町は、明治の文豪、森鴎外の生誕地として知られています。津和野へは新幹線の新山口からJR山口線に乗り、山口県から島根県に入ってすぐです。鴎外は11歳で上京して以来、死ぬまで二度と津和野には帰りませんでした。津和野に行くと、森鴎外の旧宅や記念館などがあります。ここを訪れると、何となく町民の「鴎外への片思い」を感じてしまいます。明治時代の鴎外にとっては、この石見の小さな城下町は、東京からはとんでもなく遠くて帰るに帰れないふるさとだったのでしょう。今でも津和野は東京からはかなり遠いです。

 

もうひとり津和野にゆかりの人として忘れられないのが、画家の安野光雅さんです。山口師範学校を卒業後、上京して小学校教員を務めた後、画家になりました。安野さんはふるさと津和野の絵を沢山描いています。JR津和野駅のそばには、安野光雅美術館があります。

 

ツワブキはキク科の多年草。今の時期、あちこちの家の庭に咲いています。このツワブキを描こうとすると、茎を伸ばして先端に咲く花と地面近くに広がる広い葉の距離がありすぎて、ちょっと困ってしまいます。今日は天気が良かったので、外に出て、花を上から眺めて、葉も入れて描きました。戸外で植物をスケッチするのは久しぶりです。いつもは花を切ってきて机の上の花瓶に差してスケッチしています。外でスケッチするとやはり楽しいですね。秋のひんやりとした空気を感じながらのスケッチ。1時間ほどのスケッチでしたが、気分は最高でした。

 

今日のスケッチ

ラングトン水彩紙 F6 中目

鉛筆、シュミンケ固形水彩絵の具

所要時間:1時間10分

ヤマブキ(バラ科・ヤマブキ属)

2020年11月12日

 

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春の4月、5月に山吹色の花をつける落葉低木です。山吹色というのは懐かしいです。小学校の図画の時間に使ったクレパスか絵の具かに「やまぶき色」というのがあって、子供ながらに「ヤマブキ」ってどんな花だろうと思った記憶があります。それだけに、春に咲くこのヤマブキの花には特別の思い入れがあります。

 

ヤマブキは黄葉もきれいです。あまり背が高くないので目立ちませんが、春夏に緑だった葉が枯れて行く姿は、季節の変化を感じさせます。葉の付け根の上側には葉腋(ようえき)がはっきり見えます。翌年、この葉腋から側枝を出してまた伸長します。

 

ヤマブキは中国と日本に分布していますが、現在では観賞用にヨーロッパで広く栽培されています。『花おりおり』(湯浅浩史、矢野勇、朝日新聞社)には、ヤマブキについてつぎのような説明があります。

 

「時代と共に花への想いも変わる。ヤマブキは恋の花だった。『万葉集』にはいとしい人の面影に重ね、庭に植える歌も。首都東京は、この花と縁が深い。武将太田道灌はにわか雨に簑(みの)を農家に請い、娘がさしだした八重の花の意味がわからず、恥じて学問に目ざめ、大成、江戸城の前身を築いた。」

 

今日はヤマブキの黄葉を描きました。十年ぐらい前の春に、ペンと色鉛筆で描いたヤマブキの花も載せます。

 

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ペンと油性色鉛筆

 

ヤマブキの黄葉

モンバルキャンソン水彩紙

鉛筆とシュミンケ固形水彩絵の具

 

カキ(カキノキ科・カキノキ属)

2020年11月11日

 

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柿といえば、「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」(正岡子規)の句が、条件反射ですぐ頭に浮かびます。子規が食べたのは、多分、奈良県御所市原産の「御所柿」だろうと『たべもの植物記』(能戸忠夫著、山と渓谷社)に書いてありました。

 

 

yaswatercolor.hatenablog.com

 

 

この本によれば、日本には約1000種類のカキがあり、現在生産量第一位は「富有柿」だそうです。柿は奈良時代に中国から渡来したという説が有力です。育種によって、渋柿から甘柿が生まれました。鎌倉時代のことです。昔は甘いものが少なかったから、この甘柿の甘さは貴重だったことでしょう。

 

ご存知の通り、渋柿も干し柿にすれば甘くなります。我が家でも毎年干し柿をつくります。今年は気温が低い晴れた日が多くて、とても美味しい干し柿ができました。例年ですと、柿を干している間に小さなハエが寄ってくるのですが、今年はそれもなくて、いい出来です。

 

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カキノキは若葉も紅葉もきれいです。特につやつやと緑の輝く若葉を見ると元気をもらえます。

 

今日は今スーパーや果物店にいっぱい出ている富有柿をスケッチしました。

名著を読む 『折々のうた』(大岡 信著、岩波新書)

2020年11月10日

 

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本箱を整理したら、手の届かない高い棚の奥の方から、普段あまり開くことのない、しかしうっかり捨てられない本が幾つか出てきました。『折々のうた』(岩波新書113)は、今から40年前の4月に、大学の恩師から送って頂いた本です。ちょうど仕事のために夫婦で日本を離れて海外で生活していた時で、たまには日本のことも思い出してリラックスしなさいという恩師の心遣いだったのだと思います。

 

岩波新書の黄版です。1980年3月21日第1刷となっています。つまり初版本ということになります。この本のシリーズは、その後、巻を重ねて、第2巻から第11巻まで、新赤版で出版されました。有名な人気のシリーズですが、私は普段あまり手にとることはありませんでした。実際、若い時にはあまり「うた」の世界に関心がなかったのです。しかし、人間は不思議なもので、歳をとると俳句や短歌や詩に次第にひかれるようになります。気が付くと、私の本箱にもその類の本がいくつか並ぶようになりました。

 

まだ折り目のついていない(きちんと読んだ形跡のない)、しかし年月を経て紙が全体に黄ばんでしまった『折々のうた』をそっと開いて、「秋のうた」の部分を読んでみました。いくつか気になる「うた」を紹介します。

 

「木(こ)のまよりもりくる月の影見れば心づくしの秋はきにけり

                             よみ人しらず

 

 『古今集』秋上。「心づくし」は心を尽くさせること。秋になると野山の趣が変わってあちらこちらに美しく色づき始めた自然界のすがたがある。しかもそれらはたちまち過ぎ去ってゆくつかのまの黄金の輝きである。それを思うたびに気がもめる。それが「心づくしの秋」。こちらの主観的な気分に焦点をおいて、実は秋の情感を客観的に深くとらえた含蓄のある表現が受け、『源氏物語』その他にひろく愛用された。

 

 

 初恋や 燈籠(とうろ)によする顔と顔

                        炭 太祇(たん たいぎ)

 

 江戸時代中期の俳人。「炭」はスミとも。俳句の季語の「燈籠」は盆燈籠のことで初秋のもの。寺社にある石燈籠の類ではない。この句も陽暦のお盆ではなく、涼風のたつ旧盆の季節に当てて読まないと、恥じらいつつ二人して灯影(ほかげ)に顔寄せ合っている少年少女の印象が薄れよう。連句の中にはすぐれた恋の付け句も多いが、発句(俳句)には恋の名作は少ない。中でもこれは秀逸の句。

 

 

 秋の江に打ち込む杭(くい)の響きかな

                               夏目漱石

 

 『漱石全集』所蔵。漱石は明治四十三年八月胃潰瘍のため伊豆の修禅寺で吐血し、一時仮死状態となった。死からの蘇生は彼の生涯の大きな転機となった。句はその十日ほど後、ふと病床でできた作。澄み渡る秋空。広い入江。そこに打ち込む杭の音が遠くから響いてくる。山間地に横たわる病人の幻聴か。とはいえ、そこに漱石の心はたゆたい、澄みきって呼吸していた。

 

 

 梨食うと目鼻片づけこの乙女

                      加藤楸邨(かとうしゅうそん)

 

 『吹越』(昭和五十一)所収。俳句の「俳」の字はもと一般人と変わったことをして人を興がらせる芸人の意だという。俳優の語はそこから来た。明治以降の「俳句」も和歌に対抗して滑稽な詩情を開拓した俳諧から出ているが、現代の俳句はもちろんそれだけですまない。それは新しい文学の一形態である。しかし中で加藤楸邨の近年の句は、抜群の俳味をたたえてふくよかである。梨に無心にかぶりつく少女。目も鼻もどこかへ片づけて、没頭。

 

 

 此の秋は何で年よる雲に鳥

                               松尾芭蕉

 

 芭蕉は元禄七年十月十二日(今の十一月十九日ごろ)旅先の大坂で下痢に端を発した病のため死んだ。寝込む直前の九月二十六日の作。急激な衰えと老いの自覚がこの句の背景にある。下五の「雲に鳥」の表現を得るため朝から苦心さんたんしたらしい。今年の秋はどうしてこんなに老いが身にしみるのか、という直情の嘆きを、雲に消えゆく鳥の姿が音もなく吸いとり、漂白者の魂は空に漂う。」

 

 

心に余韻を残す「うた」の数々。せっかくの機会なので、秋の夜長にひとつずつ味わっていきたいと思います。「うた」の解説をする大岡 信さんの言葉の一つ一つにも味わいがあります。流石に一流の詩人の文章です。こうして書き写していて、とても勉強になりました。

 

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今朝の秋空