わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

チェリーセージ(シソ科・アキギリ属)

2020年6月10日

 

アメリカ原産の多年草宿根草)ハーブです。葉からなんとも言えないいい匂いがします。これを庭の鉢植えから摘んできて部屋でスケッチしたのですが、部屋中にいい匂いがただよいました。とても丈夫な植物で、日当たりさえ良ければ特別手をかけなくても大きな株に育ち、長い期間(5月〜11月)花を楽しめます。

 

長く伸びて先端に花をつけた枝は、今の時期(初夏)に短く剪定するといいみたいです。私は時々水をやるぐらいで何もしないで放っています。かなりボーボーになって姿が乱れていますが、それでもどんどん花をつけます。

 

セージと名前のつく植物は、メドーセージ(青〜紫)、ホワイトセージ(白)、コモンセージ(青紫)など多種類です。いずれもハーブで、ハーブティー用、香辛料、薬草として古くから利用されてきました。

 

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イロハモミジ(カエデ科・カエデ属)

2020年6月9日

 

5月25日の朝日新聞天声人語」は新緑の話で始まりました。

 

「新緑のなかでも楓(かえで)の葉の美しさは格別で、ゆえに古くから愛されてきた。吉田兼好は『徒然草』に「卯月(うづき)ばかりの若楓(わかかえで)、すべてよろづの花・紅葉にもまさりてめでたきものなり」と書いた。初夏の楓は、どんな花や紅葉よりもみごとだと▼大空に手を伸ばす若き楓を眺めていると、頭の中で、やがて赤く色づくであろう姿を重ねてしまう。だからこそ眼前の緑がよけい際立つのかもしれない。」

 

この文章に触発されて、今日は自宅の庭に生えている小さなイロハモミジの木の枝を折って、鉛筆と水彩でスケッチしました。なるほど新緑がきれいです。

 

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鉛筆と水彩

 

イロハモミジは、その葉が5〜7つに深く切れ込んでいて、それを子供がイロハニホヘトと順番に数える習慣があったことから名付けられました。5月下旬ごろには幼果をつけます。秋には真っ赤に紅葉します。

 

「モミジとカエデとはどうちがうの?」とよく聞かれます。どちらもカエデ科・カエデ属です。葉の切れ込みの深いほうがモミジ、浅いほうがカエデと説明する人もいます。質問への答えは「うーん、多分同じ仲間だね」となります。

 

以前にペンと油性色鉛筆で描いた秋のイロハモミジも載せます。

 

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ペンと油性色鉛筆

 

この本もう読みましたか?  『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』(谷崎潤一郎著、中公文庫)

2020年6月8日

 

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時間があると、ぼーっと本棚の前に座って本棚を隅から隅まで眺める。部屋の本棚にじっと並んでいる単行本、文庫本、大型本の背表紙が、時々自分に語りかけてくるような気がする。それで、そっと本を取り出して、ページをめくる。

 

これが私の読書開始のパターンです。何度も読んだ本も、途中でやめた本も、買っただけでまだ読んでいない本も、雑然と本棚に並んでいます。図書館にも行きますが、私はどちらかと言うと自分で本を持っておきたい派です。気に入った本は5回でも10回でも読みます。本が書き込みで汚れてまた同じ新しい本を買うこともあります。

 

いつだったか、藤沢周平の小説が大好きな女性がテレビに出ていました。彼女は同じ作品を読み直すのに一度読んだ文庫本は読みたくなくて、また新品の文庫本を買うのだそうです。新しい本の印刷の匂いがたまらないとかで、彼女の本棚には同じ藤沢周平の本が読んだ回数分だけ、5冊も6冊も、多い時には10冊も並ぶのだそうです。私はそれほどではないですが、やはり新しい本のプーンと臭う印刷の匂いは好きです。

 

本も買って放っておくと、さすがに本棚にたまってきますので、一度読んでみていらないと決めた本は処分します。月1回の廃品回収の試練に耐えた本が、本棚に残って、何かしらオーラを放ちます。本棚のスペースは限られているので、自分の気に入った本や、読み始めてはみたものの歯が立たなくてもう一度挑戦したい本などが残ります。

 

そんな本の1冊。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』。高校の現代国語の教科書に載っていて記憶している人も多いでしょう。日本の文化論です。例えば、日本の古い家屋の室内の暗さや陰の部分が日本の美を演出するというような、谷崎の感性が語られた有名な本です。谷崎はかつてノーベル文学賞候補になっただけあって、文章のうまさはさすが。句点(。)で短く区切る文章ではなく、読点(、)でつなぐ文章。何とも言えない独特のリズムがあります。何度か読み返してみて共感を覚えるのは次のような文章です。

 

「私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠(かわや)へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋(おもや)から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの陰に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ(むしろ)生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻り(うなり)さえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。私はそう云う厠にあって、しとしとと降る雨の音を聴くのを好む。殊に関東の厠には、床に細長い掃き出し窓がついているので、軒端(のきは)や木の葉からしたたり落ちる点滴が、石燈籠の根を洗い飛び石の苔を湿おしつつ土に沁み入るしめやかな音を、ひとしお身に近く聴くことが出来る。」

 

また続けて、次の羊羹(ようかん)の話もいいです。

 

「かつて漱石先生は『草枕』の中で羊羹の色を賛美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉(ぎょく)のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさをふくんでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色合いも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。」

 

明治に生まれ、大正、昭和と活躍した作家の味わい深い文章を静かに読むのもなかなかいいものです。文豪と呼ばれる谷崎の文章には、随所にユーモアのセンスも光っていて、並のユーモア小説より面白いと思わせるところもあります。この文庫本に収録されている「恋愛及び色情」、「旅のいろいろ」、「厠のいろいろ」などには、ちょっと昔の日本の生活のユーモラスな一面や、現代には多分通用しない作家の女性観などが書かれていて、興味深い内容です。時代はどんどん変化します。かつて「明治は遠くなりにけり」と言われた時代がありました。今や明治生まれの人は存在しなくなって、「大正は遠くなりにけり」の時代。そしてもうすぐ「昭和は遠くなりにけり」とまで言われそうです。谷崎の作品を読むと、この変化の中で日本人が本当は失いたくなかったものを、もう一度確かめるよい機会になるかもしれません。

 

金魚がホウレンソウを食べる?!

2020年6月6日

 

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金魚が競って野菜の葉っぱを食べる。この時は小松菜

 

我が家には約5歳と2歳の金魚がそれぞれ3匹、合計6匹います。種類は和金。飼いやすい金魚です。5歳の金魚は近所のペットショップで買ってきた時は体調3センチ程でした。それが今や20センチほどに。我が家に来た人は、まず水槽の中の巨大な金魚にびっくりします。「これ金魚ですか?」というのが普通の人の第一声。もう、コイに見えます。それぐらいよく成長しました。

 

2歳の金魚は、実は5歳の金魚の子供たちです。5歳の金魚が3歳だった2年前の5月に産卵。卵の数は500か600か、もう数え切れないぐらい。その時、水槽にいれていた陶器の表面に付着していてなんとか別の水槽に回収できた卵が200個ほどでした。そこから、やがて1週間ほどで、最初は虫めがねでないと見えないような稚魚が孵化し、水槽中を泳ぎまわっていましたが、結局最後まで生き残ったのは、今いる3匹だけ。この子達も今や相当大きくなってきました(10センチ)。また次にこの子達が産卵したらどうしよう、というのが目下の不安・悩みです。

 

水槽は結構大型です。横幅が60センチあります。親子が別々に1台ずつに入っていて合計2台。水は1週間に1度換えます。これがかなり大変な作業です。餌は普通の金魚の餌(フレーク)。しかし、うちでは野菜を金魚に与えています。ゆがいたホウレンソウです。ホウレンソウが無い時には小松菜です。金魚はホウレンソウが大好き。これらの野菜には葉酸が含まれていて成長を助けます。ペットショップで売っている藻(オオカナダモなど)も以前は餌に与えていましたが、これは中国産だったり、また農薬が入っていたりするので、できればやめた方がいいです。

 

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こちらは子供達


 

そもそも金魚にホウレンソウを与えるようになったきっかけは、テレビで観たカエルを飼う少年。彼が何とかオタマジャクシをカエルに成長させようと工夫していて発見したのがホウレンソウの効果。ホウレンソウをやったオタマジャクシは皆元気にカエルになったのです。この研究は大変評価されて、少年は賞をもらっていました。それで我が家でもホウレンソウ効果をトライ。その結果、金魚は元気で巨大に。産卵もすごい。

 

青野菜に含まれる葉酸の栄養学的効果は実証されています。水溶性ビタミンの一種です。我々もホウレンソウを食べると元気になるはずです。私が子供の頃の昭和30年代、日本の家庭にやっと白黒テレビが普及し始めた頃、夕方の時間に人気だったのがアメリカ製のアニメ「ポパイ」でした。気が弱くて腕力の無いポパイが、ホウレンソウの缶詰を空けて中身を食べると急に元気が出て大活躍するという他愛のないストーリーでしたが、当時のアメリカでは製造したホウレンソウの缶詰の売れ行きがパッとせず、それで缶詰会社がポパイのアニメの力を借りて製品を売ろうとしたようです。実際、ホウレンソウの栄養価は豊富です。ただ、食べ過ぎると含まれているシュウ酸の影響で結石が出来ると言われます。しかし、それは食べる量が問題で、毎日バケツ一杯食べるようなことが無ければ問題なしです。それに茹でてアク抜きすればシュウ酸が抜けます。ただ、今から10年以上前ですが、関東地方のダイオキシンの含まれた畑で育てられたホウレンソウの葉にダイオキシンが含まれていることが問題になりました。ホウレンソウの根が土中の成分をよく吸収することがこの場合は裏目に出ました。よく管理された畑で作られたホウレンソウを買って食べるという消費者としての日頃の注意は必要です。

 

金魚は長生きします。今うちにいる金魚の前に飼っていた和金10匹は、最長で18年生きました。長生きさせる秘訣は、水換えと適度な(控えめな)食事です。人間で言えば、空気と水とバランスの取れた栄養になります。

 

 

あー、また会えたね ブレッド君!

2020年6月5日

 

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鉛筆と水彩

 

今日は今年一番の暑さ。31℃。まだまだ真夏の暑さに比べると我慢できる暑さですが、湿度があります。外に出る時は必ずマスクをしているので、息がこもって暑さが増します。今年の夏はマスク効果もあって、また格段の暑さとなるでしょう。

 

今朝の散歩道。数日前に約半年ぶりで感激の再会をした地域猫(のら猫)のブレッド君に今日も会いました。私と家内が歩いている姿を見つけるとあちらから走って来ます。普通は猫は人が近づくとさっと逃げていくものだと思うのですが、ブレッド君は3年前に初めて会った時からとても人懐っこい猫で、どこかで飼われている飼い猫かなと思うぐらいでした(実際どこかの家に飼われているか出入りしているのかもしれません)。私達の姿を見つけるとダダっと全力て走って足元を通り過ぎ、それから引き返して来ます。

 

数回会っているうちに突然姿を消して、それから半年ぐらい会わない。真冬や真夏にたまに会うと、かなり体力を消耗しぐったりした感じの時もあって、こちらもとても心配し、しばらく姿を見ないと、もう会えないかもしれない、あの時が最後だったんだと沈んだ気分になります。そして、ある日、またひょこっと現れる。「わあ、生きてたんだ、ブレッド君! ねえ、元気だったん?」 この繰り返しの3年間でした。数日前に久しぶりに会った時には、思ったより毛並みもきれいで、怪我もしておらず、元気そうでした。今日は家内が頭をなでてやると嬉しそうにしていました。

 

うちで猫を飼い始めた5年前。それまで猫には全く関心が無かったのに、一度我が家に猫の子を迎え入れると、あとはメロメロになってしまいました。地域猫もですが、散歩道で出会う散歩中の他の家の犬にも強い愛着を感じます。どの犬もどの猫も可愛らしい。スズメもハトも、があがあ鳴いてうるさいカラスでさえ可愛らしいという気になります。生きているものはすばらしい。生きているということは、それだけで素晴らしいことです。

 

今日は政府配布のマスク2枚がようやく我が家にも届きました。市中にはかなりマスクが出回ってきました。この間、うちでもタオル地などでマスクを手作りしました。消毒用アルコールも昨日ぐらいからドラッグストアに並び始めたそうです。

 

 

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ヤマボウシ(ミズキ科・ミズキ属)

 

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梅雨の時期に白い美しい花を咲かせる木があります。ヤマボウシ(山法師)です。北米原産のハナミズキと近縁です。ハナミズキとよく似ていますが、もう少し野趣に富んでいます。花弁状の大型の総苞(そうほう)と呼ばれる部分がまるで花びらのように見えるのはハナミズキと同じ。本当の花はその中央に沢山集まってついています。

 

数年前に自宅から車で30分ほどの臨済宗のお寺の庭でこのヤマボウシをスケッチしました。その時、多分80歳代と思われる年配の女性が一人で寺を管理しておられて、境内の植物の話をしてくれました。珍しい花が咲くと地元の新聞社の取材があると言っていました。寺の前にはきれいな道路がついていて岡山市内から簡単に車でアクセスできます。この道路がついたのは、このお寺の近くで廃棄物処理場を建設することへの見返りだったそうです。しかし、ぐるりとあたりを見渡してもそんな処理場が近くにありそうには見えませんでした。夏にホタルが飛び交う川もすぐそばにありますし・・・。

 

境内には珍しい植物が植えられていて、ちょっとした公園のようです。池にはハナショウブが咲き、サクラの木などの他に初めて目にするハンカチノキなどがありました。この時、うれしくなって一度に3種類ぐらいの木を続けてササッとスケッチしました。

 

ヤマボウシは若い頃あちこち山歩きをしていた時によく出会いました。白いきれいな総苞が遠くからもよく目立つのです。ヤマボウシという名前も一度聞くと忘れません。私がまだ若い時の低山歩きの思い出とつながっている植物です。時々庭木や公園樹にもなっています。かなり大きな木になります。ヤマボウシは近縁のハナミズキより病気に強いそうです。花言葉は「友情」。実に健やかなイメージです。

 

シモツケ(バラ科・シモツケ属)

 

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シモツケを漢字で書くと下野。下野国(しもつけのくに、今の栃木県)で最初に見つけられたことにちなんで名付けられました。私はこのシモツケの名前を思い出す時には、やはり下野国をまず頭に浮かべます。私のように西国生まれの西国育ちの人間には、下野と聞くとあまり馴染みがない東国というイメージ。そして日本地図の関東地方の図がすぐ浮かびます。花を見て日本地図を連想させるというのも、なかなか珍しい植物です。

 

シモツケは、春に地際から新しい茎を伸ばす小木で、先端に花序をつけます。全体にこんもりした感じの小さな花からなる茂みです。色合いはどちらかというと江戸時代の国名が示すような江戸風情。桃色のやや地味な花のかたまりですが、目を近づけて1個1個の花を見ると、結構上品な美しい花です。

 

今日のスケッチは、はじめはBの先の丸い鉛筆を使って下書きを描き始め、花の塊の部分を描きながらもっと先の尖った薄い鉛筆がいるなあと思ってHBとHの鉛筆を使いました。彩色は透明水彩絵の具(シュミンケ)です。普段の風景画では筆ペンで線を書くので、鉛筆の使用に関してはまるで初心者です。鉛筆も、今日のように濃さの異なる鉛筆を、先を丸めたり尖らせたりと、いくつか使い分けるのがいいのかなと思いました。全般的には、先の尖った鉛筆でキリキリ神経質に描かないで、リラックスしてBか2Bぐらいの濃さの鉛筆でゆったり描きたいと思います。彩色では、風景画でいつもやっているグリザイユ画法を使ってみました。つまり影の部分をはじめに紫っぽい色で塗りました。

 

シモツケ花言葉なんかあるのかな、と思って試しにインターネットで調べたら、「整然とした愛」「はかなさ」とありました。沢山の小花が整然と集まって咲いている様子からそんな花言葉になったのでしょうか。花が終わるとぼうぼうに伸びた茎が邪魔になって短く切られてしまうので、「はかなさ」は確かに当たっているかもしれません。